諦めたらそこで試合終了

土壇場で大逆転をすることが今回のオリピックで数多くありました。特に集中したのは「女子レスリング」ですね。残り10秒という土壇場での大逆転劇。「最後まであきらめない」という日本人の「美学」を世界に見せ付けられたような気がします。

「火事場のバカぢから」という言葉がありますが、ここ一番でこの「力」が出たのだと思います。

その精神は違う選手にも伝染したようで、女子バドミントンダブルスの決勝で最後19-16の劣勢から19-21と大逆転で金メダルを取った「高松」ペアはその女子レスリングの試合を見て「自分たちも最後まで諦めない」と信じて最後臨んだとコメントしています。

今回のメダルラッシュはやはり「好スタート」が影響しているのではないかと思います。

そう、「水泳」の400mメドレーでの萩野選手の金と瀬戸大也選手の銅メダル獲得だと思います。幸先の良いスタートを切って他の日本選手も刺激され自分も後に続け、という元気を与えたと思います。

オリンピック四連覇の偉業について

「伊調馨が、五輪4連覇を達成した」と言うニュースを見る。

吉田沙保里は、コマーシャルとかにでよくテレビに映っているが、伊調馨については、名前を忘れていた位である、吉田沙保里が戦う前に五輪4連覇を達成した。

アテネオリンピックは家で観ていた、伊調馨は姉妹で出ていた記憶がある。伊調馨は妹で金メダルを姉は銀メダルを取ったのである。

私は、秋田県なので隣の県から姉妹で金、銀メダルを取ったことが嬉しかった。

その頃は、吉田沙保里の名前より伊調馨姉妹の方が印象的であった。その後は仕事が忙しく、オリンピックをあまり見なくなった。

ただ、吉田沙保里は、父親が亡くなったニュースとかコマーシャルとかで、テレビに良く出る様に成ったので吉田沙保里の方が記憶に残るようになった。

伊調馨は、全く記憶から離れていたのである。

伊調馨が、五輪4連覇を達成したのニュースで見た時、アテネオリンピックで、伊調馨は、金メダルを姉は銀メダルを取った場面を思い出し、懐かしい思いがした。

碁会所の思い出とパンダネット

今日、インターネットの「パンダネット囲碁」の月会費を払ってくる。

なんと安いだろう。

10年前碁会所に通っていた時は、月会費は6,000円であった。

今だと多分、8,000円ぐらいと思う。

その頃は今と違って休みの日になると碁会所が一杯になった。

その頃である、金をかけて囲碁を遣るようなことはなかったが、勝負での八百長を遣る人を初めて見た。

国鉄上がりの人であった。

誰が見ても負けている囲碁である、その人が途中で石を落とすのである。

落とした石を拾って、席に着いたその時である。

碁盤を見ると取られているが逆に取っていた石のである。

マジックを見ているようであった。

また、高校の先生で、囲碁ではかなり有名な先生とマアマアの先生が2人の3人でよく来ていた。

強い先生が「この間教えたのにもう忘れた?鶏じゃなし!」これには教えられたという先生が怒った「鶏とはあんまりだ」喧嘩に成りそうであった。

よく通っていた碁会所は無くなっていた。

経営者が亡くなったという事をその時席主を人から聞いた。

今では碁会所に行く事が無くなったが懐かしく思い出される。

中学時代にお気に入りだったジョン・デンバー

私は、今年57歳になります。

ザ・ビートルズやデヴィド・ボウイ、プログレッシヴ・ロックさらにジャズが好きな私でしたが、中学生の頃は何といってもジョン・デンバーがお気に入りのアーティストでした。

親しみやすく情感あふれる曲調と歌詞が特徴で、1971年4月に発表した「故郷に帰りたい(Take Me Home Country Roads)」は全米チャート2位を記録する大ヒットとなりました。

ジョン・デンバーは1997年10月12日に、米国内ツアーを終えて休日を過ごしていましたが、自ら操縦していた飛行機が墜落し死亡ました。

53歳没です。さて、当時の彼の人気を振り返ってみましょう。ヒット曲「太陽を背に受けて(Sunshine on My Shoulders)」は、日本ではジーンズのCMに使われていました。

1974年初期には9週間にわたって全米第1位となります。1974年にはテレビドラマ「警部マクロード」コロラド大追跡にゲスト出演したことも記憶に遠くなってきました。

1974年に録音され翌年リリースされたライブ盤「ジョン・デンバー・ライヴ(An Evening with John Denver)」は、ジョン・デンバーにとってひとつの頂点であったように思います。

人気絶頂の頃の本当に素晴らしいアルバムで、ジョン・デンバーの楽しいおしゃべり、陽気な笑い声、聴衆の歓声、どれもこれも素晴らしい曲の数々を収めたLAユニヴァーサル・アンフィシアターに於けるコンサートのライブです。

私は、ジョン・デンバーを聴いてからザ・ビートルズを聴きいろいろなロック、ジャズにのめり込んでいったのですが、ジョン・デンバーは高校に入る前の甘い音楽の記憶です。

永遠のヒーロー、ジョン・レノン

ジョン・レノンが死んで36年になろうとしています。

ジョンが、そしてビートルズが好きになったのは、私が高校生のことです。

友だちから聴かされた「ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)」にボディーブローを受けました。

シンプルなメロディーと歌詞でしたが、あのように自らの半生を赤裸々にぶつけたレコードはそれまで知りませんでした。

私はジョンを聴いて、それからビートルズをむさぼるように聴きました。

ポール・マッカートニーはなんてつまらない男だろうと思っていました。

ビートルズの中ではジョンが一番いい顔をしていました。

肉食の西欧人臭さのない、植物的な顔です。

それに、なにを着てもサマにならなくて、カッコわるい、ぎこちないです。

ボブ・ディランのように大人っぽくも男らしくもありません。

いつもたよりなげで、ひ弱下でした。

ぼくらは、毎日、金やいろいろなことで忙しいから、だれか死んだときにはじめて、「ああ、あの人は・・・」と、やっと、その人のことが心底いとおしく思ったりします。

そして、1980年その日が来てしまったのでした。

同年12月8日午後10時50分(日本時間9日午後12時50分)、ジョン・レノンは突然死んでしまいました。

それもジョンのファンによって射殺されるという、実にショッキングな死に方で。

私は当時アルバイト先で訃報を知りましたが、メディアがいたく混乱していたのを覚えています。

今年もまた12月が来ます。「ジョンの魂」を忘れずに生きる多くのジョン・レノン・ファンの皆さんとともに歩んでいきたいと思います。

エゴン・シーレの作品をもっと見たかった

エゴン・シーレ(Egon Schiele、1890年6月12日―1918年10月31日)は、オーストリアの画家です。

シーレは、幼児虐待者で近親相姦歴や逮捕歴もあり、かなり危険な変態画家です。

彼は、16歳の時にグスタフ・クリムトと同じウィーン工芸学校に学びました。

ただ異なったのはクリムトがそのまま職工として開業したのに対し、よりアカデミック色が強い純粋芸術を追及する場であったウィーン美術アカデミーへさらに進学した点です。

ちなみにシーレが同アカデミーに入学した1906年の翌年と翌よく年には、アドルフ・ヒトラーが同アカデミーを受験して不合格になっています。

シーラの作品の特徴といえば、まるでモデルの内面を丸裸にしてしまうような絵を描くことです。心まで赤裸々にしてしまったような作品。

シーラの絵からは人間誰もが抱える孤独や不安、性的コンプレックスなどが痛いほどに伝わってきます。

彼の作品がいまも人びとの心を掴んで離さないのは、孤独や不安がいつの時代の人間も抱えていることの証だからなのでしょう。

あり場のない彼の作品からは生きることへの苦しみが、ひしひしと伝わってきます。

しかし彼の絵は、どこまでも人間臭いものに感じます。シーラの作品の好き嫌いははっきり分かれます。

しかし彼は、当時流行していたスペイン風邪により28歳という若さで亡くなりました。

もっと長生きしていたら彼はどんな絵を描いていただろうと思うととても残念です。

比類のないほど秀逸なデヴィッド・ボウイのアルバム

今年1月に亡くなったデヴィッド・ボウイ(1947年1月8日―2016年1月10日)は、つねに私たちに大きな変貌をみせてきました。

80年代と90年代の大部分の時期、ボウイは流行から完全に外れていました。ポップ・ミュージックがその風刺のセンスを失ってしまったために、デヴィッド・ボウイは時代に全く調和していないように写ってしまったようです。

音楽ジャーナリズムは多数派の意見からの影響を著しく受けやすく、特定のアーティストやアルバムの長所と短所についての世論が一致してしまった場合、それを覆すのは不可能に等しいことになります。

よって、1980年の「レッツ・ダンス」以降一連のアルバムは、事実上、無価値であるという結論に達してしまいました。

ボウイの復活、そして近年の作品は素晴らしい出来ですが、ボウイの全盛期は70年代と80年代初期です。

比類のないほど秀逸なこれらのアルバムを耳にすることができるということは大きな喜びに違いありません。

私は、いわゆるベルリン時代が好きです。

1977年から1979年にかけてブライアン・イーノとのコラボレーションで制作された三部作です。

ロンドンパンク/ニューウェーブ全盛期の中で、あえてプロトパンク/オールドウェーブを前面に出しています。

そんなデヴィド・ボウイですが、2016年1月10日、18か月に及ぶ闘病の末、肝癌により死去したことが公式Facebookにて公表されました。

2日前の69歳の誕生日にニュー・アルバムをリリースしたばかりでした。

アルバムは、自身初の全米チャート1位を獲得しました。

在宅で働く人への待遇向上を

私は現在も統合失調症と診断されております。

平成12(2000)年頃発症・入院後、心をケアしながら「いかにして収入を得るのか」ということについてが悩みの種でした。

もともと仕事人間で仕事を終え帰るのが明朝3~4時になることも珍しくありませんでした。発症・入院以来たびたび会社を休むようになり、職場の上司・部下には大きなご迷惑をおかけしたと思います。

それでもくびにはなりませんでした。

今思うととても待遇のよい会社だったのだと思います。

ところがそこから私は転職を繰り返してしまいました。

最終的には精神障害者であることをオープンにしたのですが、それまではずっとクローズにして働いていました。

精神障碍者だからといって仕事、特に専門職を遂行する能力が劣っていることは厳にありません。

ただ、休日を含む時間外労働等には耐えられない障害者が多いということはあります。この点、精神保健福祉士などの行政や医師等はいたく怠慢です。

例えば彼らはもっぱら企業への「就労」を考えているのみであり、就労には耐えられないが例えば在宅で十分能力を発揮する障碍者が多いことを意図的に無視しています。

一方で、世の中の就労形態が多様化している現状にあって、政審障害者をめぐるその就労形態は昔と固定的で何ら向上していません。賃金レベルもそうでしょう。

私は、この春に会社を辞めました。

どうか企業への就労を離れ、在宅で働く者に対しましても様々なサービスをお願いしたいと切に存じなす。

夏のストレスに対抗するためのちょっとした贅沢

暑くなってくると、冷たいものが食べたくなります。

ドリンクでも色々なものがありますし、結構誘惑もされてしまいます。

有名なコーヒーのチェーン店で販売されているフラペチーノ。

かなり魅力的ですが、実はものすごくカロリーが高いんだそうです。食事の代わりになるわけではないので、カロリー制限を行っている人は避けなければいけないのかな、と思います。

期間限定のものなどついつい購入をしたくなってしまうものが多いです。

値段も高いということがあるので、購入をすることを躊躇してしまいます。

サイズも大きいので、割高な感じもしないかもしれませんが、それでも手を出すには勇気がいります。

しかも美味しいので、1回買ったからもういいや、という気持ちにはなれません。ま

た食べたくなってしまうのです。

アレルギーが心配という人のために、ミルクではなく豆乳にすることができるなど配慮もされているので、安心をして利用をすることが出来るようになっています。

店舗の数も多くなっていますが、それでもエリアによっては全くお店がないという場合もあるので、店舗を見つけたら寄ってみるという程度に考えておいたほうがいいと思います。

お金に余裕がある時のちょっとした贅沢と言う感じでもあると思います。

継続は力なり、継続こそが力なり

何事も継続は力なり。

Legg Mason Tennis Tournament 08/08/09
Legg Mason Tennis Tournament 08/08/09

どんな苦手なことでも、地道にコツコツ継続させすれば、ある一定以上のレベルには到達できるでしょう。

そこよりも上に行けるかどうかは努力ではどうにもならない壁があるかも知れませんが、何はなくとも継続あるのみ。

努力さえすれば、大抵のことは成し遂げられるのです。

その努力を阻む要因となるのが、やはり自分を信じられないということ。

対して努力もしていないのに自分よりもうまくいっている人を見たりすると、途端に自信をもぎ取られてしまうことでしょう。

しかし、人は人、自分は自分。

周りに流されること無く、当たり前のことを、淡々と繰り返すことが重要なのです。

ウサギとカメの寓話にもあるように、歩みを止めなかったものが最後には勝つのです。

実生活でもそれは同じで、才能が必要だと言われている分野でも、地道な努力を積み重ねていけば天才たちの足元を救うことが出来るのです。

最初のうちはあなたの努力を馬鹿にしていた人達も、やがてあなたの本気を知り、応援するようになるでしょう。

信念を抱いて努力を続ける。

何か目標を達成しようと思ったら、揺るぎない決意と、継続することが不可欠なのです。