睡眠と妄想

今日に限って、寒さを感じているのはなんでなんでしょうね。

前から書いているのですが、ドリエルは本当に良い睡眠補助剤だと思っていて、理由というのは、妄想が出ないというものでしょうか。

父親だとか、大丈夫かと思うのは、明らかに金を盗まれただとか、何回言ってもカードを勝手に使われただとか思い込んでいるというより、妄想のように思えるのですね。

理由として、あの人の金への姿勢が見て現れるのですが、金を盗まれている、自分は常に金を狙われているという妄想が出ているのは、睡眠薬の影響ではないかと思っています。

ハルシオンを三錠も飲めば、それはなるだろうなと思います。

脳にくるのも良く分かります。

病気でそうなったのも良く分かります。

でも、それならそういう病院に行った方がいいのですが、本人は精神疾患であることが、屈辱な上に、恥だと思っているのでしょう。

息子に関しても、顔見せ出来ないと思っているのではないでしょうか。

兄弟にも言えない話ですし、別に今時、精神病は珍しくないのですが、世代から嫌だと思う人が多いのが、特に年を取っているほど、思うのでしょう。

何というか、残念な話ですが、誰だって健康に生きたいのですが、プライドだとかが邪魔してしまうのも可哀想だとは思います。

学歴主義者にありがちな決め付け

自分は精神病ではない、そういうのは頭の○○な人がなるものだと頑なな人は、いつの時代にもいますね。

自分の周りにも、ののしる人は後を絶たなかったと思っています。

幼稚言葉を使う人や、無能もの扱いする人も、とても多かったと思いますが、今の時代、統合失調症一つ取っても、何百万と患者がいるのです。

自分がならないって逆になんで断言できるのでしょうか。

恐らく、そういうものへ接していないので、自分が病気になる事自体、想像がつかず、特に知識があるわけではないので、頭が悪いと余計な事まで勝手に思い込んでいるのでしょうね。

逆に自分は優秀で、あんな病人より、何でもできるというプライドもとてもあるのでしょう。

えてして、学歴を好む人が多いです。

でも、そういう人は、確かに老後自分が色々弱ってきた時、そういう病気になった時に、自分から通うのをとにかく嫌がります。

入院を嫌がる人もとても、こういうパターンが多いです。健康であってほしいとは思いますが、こっちに色々言ってくるのは迷惑です。

自分で書いておいてなんですが、他人は他人なのは、よくわかるので、無視はしていますが、そういう人に多い「人間は働くものだ。働けない人間は社会にとっていらない存在である」といような価値観をもって来られると、こちらとしては言い分もありません。

決めつけるのはやめて欲しい

最近、感情がささくれ立っているのかと思いました。

自分は音楽が好きなので、音楽でもきこうかと思っているのですが、聞いていても、同じような曲を聞いていて思うのは、昔、若かった頃でしょうかね。

あの時の思い出というのが、ずっと残っているのです。

たまに、金しか頭にない親を見ていて、苛々してくる事もありますし、それが現実なのだろうと思っていますが、若かった頃はそんな事はなかったのにねえと自分は思っています。

やめてほしいのは、子供は働けないというやはり、病気に対する思い込みでっしょうか。

少しはハンディはあるとは思っています。

でも、結局、そういう人は、勤められないのは、という決まった事でしかないのだと思っています。

はっきり言って、疲れてしまう話ですし、そうでなくても、やりようだとは思うのですが、全て否定してしまうという親も、プライドがあるため、負い目が強いのです。

自分の非にしたくがないため、高校生のような扱いをする事によって、自分たちはまともであると言いたいのですよね。よく分かりますよ。

多いですからね。

と感情的になりすぎる所でした。

世間ってそうなっていると前から思ってはいましたが、結局は仕方がないと思っています。

心を落ち着かせたい

蚊取り線香が、喉にずっと引っかかってくるような感じで、咳だとかがとても強力に感じられます。

喉がつまるような感じでしょうかね。

ずっと動画で音楽を流しているのですが、恨みやつらみが強い自分はなんとかならないのかと思った時、他人は全て他人ではないかと自分は思ってしまいます。

こうしなさいなどと、他人に言える権利は、本来ないのですが、みんな好き勝手、言いたい放題ですものね。

自分とても、もう他人を言うのはやめたいところなのですが、ストレスがたまりすぎるのは、やっぱり催促の電話でしょうかね。

これまで病気のせいにされると、迷惑すぎて、本当に困ってしまいます。

優しい人間など、この世の中には一人もいないと思った方がいいくらい、世の中は冷たくできて入りうと思います。

さて、そろそろ薬でも飲もうかと思いました。

感情的な時には、薬を飲んだ方が本当に落ち着くものです。

確かに生きていて、なぜって思う事はとても多いですが、とにかくやめようというより、他人は他人、バカにしてくる人をいちいち相手にしていても、意味がないと思うようになりました。

まあそれはそれでいいのです。

どうでもいいのです。

そう言い聞かせています。

いやな事ですからね。

マーキュリーと言えば

生誕70周年記念ということで、伝説のロックスター「フレディ・マーキュリー」の名前が小惑星に付けられることがニュースで発表されました。

リアルタイム世代ではないのですが、伝説のロックバンド「クイーン」は大好きでCDを購入しては通学・通勤中などにノリノリで聞いていました。

それにしても音楽史を代表するロックスターが本当にスターになってしまうとは思いませんでした。

マーキュリーといえば「水星」という意味だったようなと当時から何気なく引っかかっていたのですが、スターと聞くと同じクラシックロックの「デヴィッド・ボウイ」が歌う「スターマン」が浮かびます…そんなデヴィッド・ボウイも近年亡くなってしまいビックリしてしまったのですが。

話を戻しまして、フレディ・マーキュリーが亡くなってもう25年も経つことに驚きました。25年という年月が経とうと、それどころかこの先もずっとフレディ・マーキュリーの音楽が廃れることは絶対にないと思います。

フレディが活躍していた時代はまだ同性愛について理解が乏しくとてつもなく波乱な人生を歩んでいたのではないかと考えるととても辛く感じます。

それでも彼は素晴らしいな作品を全世界に遺してくれたのですから、いつまでも彼のファンであることには変わりません。

天運を信じて

今日は、目覚めは、よくも悪くもありませんでした。

ただ、ぐっすり眠れた感じがありました。

6時台に、初めに目覚めました。

もっと、起きないでゴロゴロしたいと思いました。

がしかし、幸運を呼び込みたい思いがあって起きました。

長袖を着ました。真っ新の靴下を履きました。

ごみは、まとめました。自室から出ていくときに、冷房を切りました。

朝食を取りました。駅に向かいました。

朝は、何本も電車が続いてやって着ます。

安心しながら、コンビニに行きました。赤い缶コーヒーを買いました。

自販機よりも、少し安く買うことが出来て、少し喜びました。

なぜ、赤い缶かと言いますと、単に赤色が好きだからです。新

しい雑誌をぱらぱらと見ました。

後ろのほうの占いを読みました。

金運が上がるらしいです。

嬉しいです。

天の助けに思いました。電車に乗ると、途中で具合が悪くなってしまって、降りてしまいました。

次の電車に乗りますと、冷房が効いていて、気分がましになって喜びました。

地下鉄に乗り換えました。朝は、混んでいます。乗るときも、ほかの乗客に気を使ってしまいました。

途中から座りました。

今日は、アルバイトの面接があります。

まだ少し時間があったので、休憩をすることになりました。

核家族時代に逆行する流れ

今日は孫のゆう君(ゆうや)の5歳の誕生日です。

長男夫婦は6年前に結婚をしてそのまま私たちの家に同居しています。

今も尚、核家族時代と言われ続けているこの世の中では同居というのはやはり世間一般的には珍しいことのようです。

結婚してからも親と同居をしたいと言ってきたのは長男夫婦の方からでした。

正直言って嬉しさ半分、戸惑い半分でした。

長男の嫁にきてくれる女性は結婚式を挙げる前から週に3日間ほどは泊まって食事も一緒にしていましたから一緒に暮らすということの抵抗はありませんでした。

一緒に暮らし始めればやがてはお互いの長所や短所もわかり、食べるものの好き嫌い、味付けの濃い薄いなどの食事が原因で気が合わなくなったりすることを考えてしまいました。

当時住んでいた家は持ち家ですが私たちが24歳の時に結婚をして、同時に建てた家でしたので建物はしっかりしていましたがやはり傷んでいるところもあり、やがては長男夫婦にも子供が出来れば部屋数も必要になると思い、思い切って建て替えをすることにしました。

長男夫婦が結婚して同居をするタイミングで完成するよう知り合いの建設業者に頼みました。

古い家の解体から基礎工事をして完成まで工期4ヵ月というスピードでやってもらました。

敷地総面積150坪で建坪(2階)70坪の家です。

同居する前に心配をしていたことも取り越し苦労で何事もなく一緒に暮らしています。

たぶん、上手くいっているのは孫のゆう君が生まれて一緒に暮らしているおかげだと思います。

ゆうや君、5歳のお誕生日おめでとう。

バドミントン女子がメジャーになるかも

リオオリンピックではいつもはなかなか放送されなかった「バドミントン」がライブ中継されています。

これは恐らく女子ダブルスが世界ランク1位であり「金」メダルが期待されていること、そして女子シングルスも初のメダルが期待されていたこととが大きな要因ではなかったかと思います。

一方、男子は「金」が狙えるとまで言われた選手たちによる「賭博問題」により「別の意味」でテレビを賑わせてしまいました。

この悪事がオリンピックにも影響するかと心配していましたが、思っていた以上に取り上げてくれて、そして「メダル獲得後」も色んなメディアに取り上げられ「高松ペア」と「奥原希望」の名を知らしめてくれました。

これにより「バドミントン」という競技へのイメージも変わりこれからもっと取り上げられて「人気」が出ればいいなと思いました。

卓球にしてもあの「福原愛」選手や男子では「水谷準」選手が卓球をメジャーに引き上げたと思います。

あの「オグシオ」を上回る成果を密に望んでいます。

メダルと感情表現

当然ですがメダルには「金」「銀」そして「銅」があります。

金が取れなかった人に対して慰める言葉として「金」は銅に金のメッキがしてあるだけ、とか「銅」は「金に同じと書く」などがあります。

メダルにはその競技によって「格差」があるように感じます。周りの思いや本人の思いがその「価値観」を変えてしまいます。

もちろん「金」が一番であることは間違いなく「頂点」です。

でも「金」を取っても「満足」していない選書もいれば「史上初のメダル(銅)を獲得!」といって歓喜に沸くメダルもあります。

大きく分ければ「柔道」や「レスリング」そして「体操」などは「メダルを取って当たり前」という印象であり、メダルの色が関係なく、とにかく獲得したら凄い競技は陸上のトラック競技やテニス、サッカー、バスケットボールなどではないでしょうか。

今回その陸上ではあの花形「100m×4」のリレーで「銀」そしてテニスでは錦織選手の「銅」がありました。

この「銀」と「銅」は物凄い快挙であり、何より本人がたが一番喜んでいました。

やはり「格差」を無くすにはたとえ望みどおりのメダルは取れなくても「嬉しい」という表現をすることが大事かな、と思います。

諦めたらそこで試合終了

土壇場で大逆転をすることが今回のオリピックで数多くありました。特に集中したのは「女子レスリング」ですね。残り10秒という土壇場での大逆転劇。「最後まであきらめない」という日本人の「美学」を世界に見せ付けられたような気がします。

「火事場のバカぢから」という言葉がありますが、ここ一番でこの「力」が出たのだと思います。

その精神は違う選手にも伝染したようで、女子バドミントンダブルスの決勝で最後19-16の劣勢から19-21と大逆転で金メダルを取った「高松」ペアはその女子レスリングの試合を見て「自分たちも最後まで諦めない」と信じて最後臨んだとコメントしています。

今回のメダルラッシュはやはり「好スタート」が影響しているのではないかと思います。

そう、「水泳」の400mメドレーでの萩野選手の金と瀬戸大也選手の銅メダル獲得だと思います。幸先の良いスタートを切って他の日本選手も刺激され自分も後に続け、という元気を与えたと思います。